東京地方裁判所 昭和39年(ワ)289号 判決 1965年1月29日
原告
川元正
右訴訟代理人
真部勉
同
上条貞夫
同
坂本修
同
山根晃
同
井上文男
被告
東京都
右代表者知事
東龍太郎
右指定代理人
泉清
ほか二名
主文
一、被告は原告に対し一〇万一、二七八円及びこれに対する昭和三八年一一月一二日から支払済に至るまで年五分の金員を支払え。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
三、この判決第一項は仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決と主文第一項について仮執行の宣言をもとめ、その請求の原因として次の通りのべた。
一、原告は日本交通株式会社蒲田営業所に勤務する自動車(タクシー)運転者であるが、昭和三八年一一月一二日午後〇時二〇分頃客を乗せて中原街道を上池上方面から自由ケ丘方面へ進行中、東京都大田区雪ケ谷町所在石川台派出所前の交叉点から五〇米位手前で、折から交通違反取締中の警察官から停車を命ぜられ、警察官の指示した個所に停車した。
原告は、警察官から速度違反を犯している旨告げられたが、その覚えがないのでその旨を申しのべ、また警察官から運転免許証の提示をもとめられたので、両手に持つて各頁をめくりながら提示したが、これを手渡すことは拒んでいた。原告の車は数名の警察官にとりかこまれ、そのうち警視庁東調布警察署交通係長警部補宮下彦四郎から下車を命ぜられたので下車したところ、原告は即時同所において右宮下等に道路交通法違反の現行犯として逮捕され、宮下により一旦右場所から四〇米位はなれたところに設けられてある交通違反取調場所に連行されたうえ、更に右警察署の中型トラツクで同署に連行されたが、その間宮下から次のような暴行をうけた。
すなわち宮下は原告が右の如くして下車するや、いあわせた警察官等に対し、「もたもたしやがつて、こんなことだから運転手になめられるんだ、こんな時はこうするんだ」等と叫びながら背後からその右手で原告の首筋を強くつかみ、左手で原告の左手を後にまわして押えつけ、そのままの姿勢で原告を強く押しながら、右取調場所まで連行したが、その途中車の鍵のことで原告と論争が始るや「何をこの野郎」といいながら一層強い力を首筋に加えて右場所に突き入れ、また右中型トラツクに乗せる際も同様の姿勢にして突くなどの暴行を加えた。
二、原告は右暴行により、首筋にウイツプラツシユ傷害を受け、これを治療するため、昭和三八年一一月一九日から同年一二月三日まで社会保険蒲田病院に入院し、また同年一一月一六日から一二月一五日まで勤務を休むことを余儀なくされたが、右により左の通りの損害を蒙つた。
(一) 治療費として、入院負担金四五〇円、初診料一〇〇円及び診断書料一五〇円の合計七〇〇円。
(二) 休業による損失 二万〇、五七八円
原告は右欠勤に先立つ四か月間に手取賃金として平均一か月三万六、九六五円を得ていたところ、欠勤中の昭和三八年一二月分の手取賃金は一万六、三八七円にすぎなかつた。もし原告が右傷害のため欠勤することがなかつたならば、原告は同年一二月分としてその差額二万〇、五七八円に相当する賃金を当然に得べかりしものであるから、原告は右傷害により右賃金を喪い、これと同額の損害を蒙つた。
(三) 慰藉料 八万円
原告は右暴行及びこれによる右傷害のため精神上苦痛を受けたが、これを慰藉するための金員は右額を以て相当とする。
三、前記宮下は東京都の公務員であり、同人の前記所為は同人が原告を逮捕するという職務を行うについて故意になした違法な行為であるから、原告は被告に対し、右損害の合計一〇万一、二七八円とこれに対する損害発生の日である昭和三八年一一月一二日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払をもとめる。
被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決をもとめ、次の通り答弁した。
一、請求原因第一項第一段記載の事実は認める。
右第二段記載の事実のうち、宮下彦四郎が当時警部補で警視庁東調布警察署交通係長であつたこと、原告が警察官から速度違反をしている旨告げられたがその覚えがない旨申しのべたこと、原告が警察官から運転免許証の提示をもとめられたがこれを手渡すことを拒んだこと及び宮下等が原告をその主張の取調場所に連行し、つづいて中型輸送車(ジープ)により右警察署に連行したことは認めるが、その余の事実は否認する。
右第三段記載の事実は全部否認する。
二、原告は、その主張の日時頃、東京都大田区雪ケ谷町一一八番地先から同都同町一五一番地先に至る中原街道を、自動車を運転し所定の制限速度を一二、一粁超過する違反を犯したので、当日同所において自動車の速度違反の一斉取締を行つていた警察官は原告に停車を命じた。ところで、原告は警察官から違反事実を告げられてもこれを否認し、住所及び氏名の質問に対し黙秘し、運転免許証の提出をもとめられても車内でその表紙をみせるだけであつた。宮下は右警察官の通報によつて来所し、原告に対し違反事実を告げ、免許証の提出をもとめたが、原告は同様違反事実を否認し免許証の提出を拒んだ。そこで、宮下は止むなく原告に対し道路交通法違反現行犯で逮捕すると告げたところ、原告は自ら扉を開けて路上に出て、取調場所にむかつて歩き出したので、宮下はその左側直後を追随して取調場所に至つた。しかし、原告は同所でも取調に応ずる気配が見られないので、宮下は原告に警察署に引致する旨及び自動車及びその鍵を差押える旨を告げたうえ、中型輸送車に乗車するよう命じた。原告は鍵の差押については抗弁したものの結局自らこれを宮下に交付し、素直に右車輛に乗車して警察署に到つた。右警察署において原告は、所定の取調の後、翌一二月一三日午前八時頃まで留置場に留置されたのであるが、その間何人に対しても身体の苦痛を訴えていない。
かような次第であつて、宮下が原告に対しその主張のような暴行を加えた事実は全く存しない。
仮りに宮下が原告に対し何らかの暴行を加えたとしても、原告が受けたというウイツプラツシユ傷害とは、もともと顎椎変型症の一種で自動車の急停車によつて顎部が急激に前後屈した場合に起きる症状に対する呼称であるから、右傷害と宮下の行為との間に因果関係が存するものとはいい難い。
三、右第二項記載の事実はいずれも知らないし、原告主張の損害の額はすべて争う。
立証<省略>
理由
一、請求原因第一項第一段記載の事実は当事者間に争がない。
つぎに、(証拠―省略)を綜合すると次の通り認められる。
(一) 原告はその運転する自動車をその主張の場所に停車した後、警察官から速度違反を犯している旨告げられたがその覚えがないと申しのべ、また警察官から運転免許証の提示をもとめられたがこれを手渡すことを拒んだ(この事実は当事者間に争がない)。そのため数人の警察官が自動車をとりかこみ、運転手席の右側或は左側(いづれも進行方向に向つていう、以下同じ)から原告に対し、違反の事実を認めるように或は免許証を提示するようにと告げているうち、警察官の通報を受うた警視庁東調布警察署交通係長警部補宮下彦四郎(宮下の資格及び職務は当事者間に争がない)は、自ら中型輸送車(ジープ)を駆つて右現場に至り、警察官から事情を聞いたうえ、車の左側から原告に対し、あらためて速度違反を犯している旨をつげ、また免許証を提示すべく命じたが、原告は前者を認めず、後者を肯じなかつた。
(二) そこで、宮下は原告に対し、原告が右の様な態度をかえないのなら道路交通法違反の現行犯として逮捕するも止むを得ないと告げたところ、原告は自ら運転手席の左側のドアを開けて車から出て歩道の上に降り立つた。
すると宮下は、原告の背後から左手で原告の左手を後にまわして押えつけ、更に右手で原告の首筋を強くつかみ、その姿勢のまま原告を押すようにして、右場所から四〇米位はなれたところに設けられてある交通違反取調場所に連行したが、その間原告に対し右自動車を押収する故鍵を提出せよと命じ、原告が鍵は会社から預つているものであるから渡せない旨答えるや、罵声を発しながら右手で原告の首筋をなお一層強く突くなどのこともあつた。右取調場所でも原告は被疑事実を認めないので、結局宮下等により前記ジープで東調布警察署に連行されることになつたが、ジープに乗せられるまでの間も、宮下により前同様の姿勢をとらされた(なお、原告が宮下により一旦右取調場所に連行されたうえ、右警察署に引致されたことは当事者間に争がない)。
(三) 原告は、右警察署において取調を受けた後、翌一二月一三日朝まで同署留置場に留置され、ついで同日午前中同署の車で墨田区検察庁に押送され、同庁で取調のうえ釈放された。しかし、原告は所持金もなかつたので再び同署の車に同乗して同署に帰り、そこで所持品を受領して同署を出て、附近の公衆電話で所属営業所に連絡したところ、直ちに同所に来るようにと命ぜられ、電車にのつたのであるがその車内で吊革を握つた際首筋のあたりに異常な痛みを覚えた。
(四) 原告は、同日午後二時すぎ頃右営業所に帰来し、待つていた同僚等から聞かれるまま、事のいきさつを語つたのであるが、その際首筋の痛みを訴えたことから医師の診断を受けたほうがよいとのことになり、同僚に付添われて社会保険蒲田病院の整形外科に赴き、同所で医師朝日弘正の診察の結果後記認定の通りウイツプラツシユ傷害と診断された。
(五) 原告は、朝日医師から入院治療をすすめられたものの入院のため欠勤すると収入が激減することをおそれて翌一二月一四日は平常通り勤務についたが、首筋の痛みは去らず、同月一五日所属労働組合の役員から更めて事情を聴取された際も痛みを訴えていた。そうして同月一六日から一八日までの間は自宅で休養して朝日医師から投与された薬や市販の薬を服用して治療に努めたものの、一向はかばかしくないので遂に意を決して同月一九日前記病院に入院することとなつた。
かように認めることができ、証人<省略>の各証言のうち右認定に反する部分及び証人<省略>の各証言はいづれも措信することができない。なお、右証人<省略>は、本件について一見第三者的立場に在るようであるが、右<省略>証人の証言によると同人は本件につき昭和三九年一一月一四日午後一時の口頭弁論期日に証人として出頭するに際し、証人<省略>方において前示宮下とおち合い、宮下の運転する自動車に同乗して来たことが明らかであり、しかも右実事は原告代理人のかなり執拗な反対尋問のすえ遂に表白されるに至つたものであつてみれば、右証人等が前記事件に関してなす各証言は直ちに事実とうけとり難いのである。
二、つぎに、右認定の事実に前示<証拠―省略>を綜合すると、原告は宮下の前記暴行によりウイツプラツシユ傷害を受けたこと、その程度は前記診断の当初において一か月の休養加療を要するものであつたこと原告は右傷害のため昭和三八年一一月一九日から同年一二月三日まで前記病院に入院したこと及び前記認定の通り原告は右入院に先立つ同年一一月一六日から右退院後の同年一二月一五日まで欠勤したことを夫々認めることができる。
被告は、仮りに宮下が原告に何等かの暴行を加えたとしても、右と原告の右傷害の結果との間には因果関係がない旨主張する。なるほど、前示<省略>証人の証言によれば、自動車が急停車し運転者の顎部が急激に前後屈した場合にもウイツプラツシユ傷害が起ることはあり得るものと認められるけれども、本件に顕れたすべての証拠によるも、原告について右のような事情が存したことはこれを認めることができず、かえつて前記の宮下の行為以外には、右傷害の原因となり得べきものは発見し難いから、右主張は採るを得ない。
三、そこで、原告が右傷害により蒙つた損害とその額について判断する。
(一) <証拠―省略>を綜合すると、原告は前記診断を受けた際に初診料一〇〇円及び診断書料一五〇円を、また前記入院に関し入院負担金として四五〇円を夫々前記病院に支払つたことが認められるが、右はいづれも右傷害の加療のために必要な金員であるというべきである。
(二) <証拠―省略>によると、原告は前記の通り欠勤した結果、昭和三八年一二月分(原告の所属する会社では前月一五日から当月一四日までを当月分とする取扱である)の手取賃金は殆ど固定給だけになつたため、一万六、三八七円にすぎなかつたこと、ところで原告の右に先立つ四か月の手取賃金を平均すると一か月あたり三万六、九六五円であることを認めることができ右認定に反する証拠はない。
してみれば、原告がもし右欠勤をしなかつたならば、原告は右一二月分について少くとも右平均額と同額の手取賃金は、当然これを挙げ得た筋合であると認めるべきであるから、原告は前記傷害のため右一二月分の手取賃金と右平均賃金との差額二万〇、五七八円を喪失し、右と同額の損害を蒙つたというべきである。
(三) 原告の本人尋問の結果によると、原告が前記暴行を受けた際附近には二〇人位の公衆がこれを見ていたこと及び前記入院中原告は家族の生活を思い悩んでいたことが明らかであり、この事実に前記認定の入院中の生活を考えて原告が直ちに入院加療することを躇躊していた事実を合せ考えると、原告は、本件暴行及びこれに起因する傷害のため精神上の苦痛を蒙つたものであり、金銭を以てこれを慰藉するとすれば、その額は原告主張の八万円を以て決して多きに失するものということはできない。
四、宮下が警視庁東調布警察署勤務の警部補であることは当事者間に争がないから、同人が東京都の公務員であることはいうまでもなく、同人の原告に対する前記所為が同人の警察官としての職務を執行するについて故意または少くとも過失を以てなされた違法な行為であることは前記認定の事実から明らかであるから、被告は宮下の右所為により原告が蒙つた右認定の損害を賠償する義務がある。
五、してみれば、右損害合計一〇万一、二七八円の賠償とこれに対する右違法な行為のなされた日である昭和三八年一一月一二日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払をもとめる原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文の通り判決する。(川上泉)